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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)2029号 判決

原告 高橋幸吉

被告 美鈴タクシー株式会社

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一、原告

被告は原告に対し二二三万一〇九五円およびこれに対する昭和四四年三月一三日から完済に至るまで年五分〇割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二請求原因

一、(事故の発生)

訴外村林守(以下村林という。)は、昭和四三年三月九日午前零時一〇分頃、事業用普通自動車(練馬五き七五四四号、以下被告車という。)に、乗客である原告を乗せて、東京都渋谷区恵比寿西一丁目九番地先路上の中央付近を中野方面から白金三光町方面に向けて時速六〇粁以上の速度で走行中、突如急ブレーキをかけた瞬間後方から進来した車種・登録番号・運転者・所有者不詳の自動車(以下訴外車という。)に追突され、このため、原告は、第五頸椎椎体骨折の傷害を負つた。

二、(被告の責任)

(一)  第一次的責任 運行供用者責任

被告は被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたので自賠法第三条の責任がある。

(二)  第二次的責任 運送契約責任

かりに、本件事故発生について村林に過失がなかつたとしても、被告には、次のような責任がある。

原告は昭和四三年三月八日午後一一時過ぎ、東京都中野区本町通りの地下鉄丸の内線新中野駅付近で被告車を呼び止めてこれに乗車し、被告との間に旅客運送契約を締結した。旅客運送契約は運送人が旅客を安全に目的地に運送することを目的とするものであり、旅客の運送人が運送に関し注意を怠り旅客に損害を及ぼしたときは、債務不履行責任を負わなければならない。右「運送に関し」とは、運送行為自体に関するものは勿論のこと、運送行為自体に過失がなく、第三者の故意または過失によつて旅客が損害を受けた場合における事後処理に関するものも含まれるのである。

しかるに、本件においては、事故発生後、村林は、訴外車の運転者と事故現場において一〇分ないし一五分間ばかりお互いの過失の有無、警察問題にするかどうかなどについて話し合つていたが、その後被告会社に連絡すると称して付近の電話ボツクスで電話をかけていた間に、追突車は、すばやく逃走してしまつた。村林は訴外車の特徴・ナンバーを覚えておらず、また、訴外車の運転者の氏名住所も確認しなかつた。そのため、訴外車およびその運転者は未だ不明であり、今後判明する可能性は全くない。

村林としては、原告が訴外車の保有者および運転者に対し損害賠償請求権を取得したことを確知していたのであるから、訴外車の運転者の住所氏名を問いただし、また、運転者がこれに応じなかつたとしても訴外車のナンバーを確認することは十分できたにもかかわらず、右確認義務を怠り、原告が訴外車の保有者および運転者に対して有する損害賠償請求権の行使を不可能にしてしまつた。従つて被告には運送契約について債務不履行がある。

(三)  第三次的責任 使用者責任

かりに第二次的責任が認められないとしても、被告には、次のような責任がある。

本件のような事実関係の下においては、タクシー運転者たる村林は、一般慣習もしくは一般条理から、当然、訴外車を確認する義務があつたのであり、これを怠つた同人には重大な過失がある。原告は村林の右重過失により訴外車の保有者および運転者に対する損害賠償請求権を行使することができなくなつた。右村林の重過失は被告の事業を執行中になされたのであり、被告には民法第七一五条第一項の責任がある。

三、(損害)

(一)  治療費 二〇万一〇九五円

1 小原病院に対するもの 二九万八四二〇円

(ただし、うち一五万四三九〇円については被告から支払いを受けた。)

2 水戸赤十字病院整形外科に対するもの 八四八円

3 茨城町国保病院に対するもの 五万六二一七円

(二)  得べかりし利益 一四三万円

原告は、昭和四三年三月一〇日から茨城県東茨城郡美野里町中野谷一〇九番地所在の「ドライブイン」みずほ食堂で調理士として勤務し、月給六万五〇〇〇円を得ることになつていたが、その前日に本件事故に遭遇した。原告は事故当日から同年六月一三日まで小原病院に入院したためその間全く稼働することができず、右期間中に一九万五〇〇〇円の休業損害を被つた。

原告は退院後も茨城町国保病院に通院治療中であるが、頸の運動障害、運動痛、右上肢の運動痛、筋力低下(握力右二六、左三五)により、手指による作業さえも不可能の状態にあり、治癒の見込みは現在のところない。従つて、今後一年間は右症状が継続するものと考えられるので、右期間中は全稼働能力の喪失と評価することができ、また、原告は「ドライブイン」みずほ食堂に勤務していたであろうから、右小原病院退院後昭和四五年一月一三日までの逸失利益は一二三万五〇〇〇円となる。

(三)  慰藉料 六〇万円

原告の前記後遺症は自賠法施行令別表の九級に該当する。右のような後遺症および原告の入、通院および前記諸般の事情を考慮すると、原告の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては六〇万円が相当である。

四、(結論)

よつて原告は被告に対し、以上合計二二三万一〇九五円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四四年三月一三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求原因に対する被告の認否

一、請求原因第一項に対して。原告主張の日時・場所において被告車に訴外車が追突したことは認める。事故発生の態様は否認、原告の傷害は不知。

二、(一)同第二項の(一)に対して。被告が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことは認める。

(二)同項(二)に対して。村林が電話をかけに行つている間に、訴外車が逃走してしまつたことは認める。また、原告主張の運送契約が原告と被告との間に成立したことは認めるが、運送契約によりタクシー運転手が乗客に対して負担する債務は、目的地まで乗客を運送することであり、それに尽きるのであつて、原告主張のように乗客が第三者の故意・過失により損害を受けた場合にその第三者が何者であるかを確認すべき義務まで負担するものではない。従つて、原告の第二次的主張は主張自体失当といわざるを得ない。(三)同項(三)に対して。タクシー運転者村林には訴外車のナンバー確認等の義務のないことは、前に記したとおりであり、原告の第三次的主張も主張自体失当である。

三、同第三項に対して。

被告が治療費として小原病院に対し一五万四三九〇円支払つたことは認め、その余は不知。

第四被告の免責の抗弁

村林は被告車を時速約四〇粁で運転して、本件事故現場の横断歩道まで約三〇米の地点に接近した際、右横断歩道上を道路左側から右側へと横断する人影を認め、直ちにブレーキをかけながら時速二〇粁以下に減速し、横断歩道の手前三米位の地点で停車して横断者の通過を待つた。右横断者は被告車が停車した直後には道路中央付近まで進んでおり、村林は発進できる状態になつたが、右横断者に続いて横断しようとしている通行人を発見し、その通過を待つためなおも停車し続けていたところ、その歩行者は、一旦、横断を開始し、一ないし二米ばかり進行したが、急に歩道上に引き返した。それとほぼ時を同じくして訴外車が被告車に追突した。村林が停車してから追突されるまでの時間は六ないし七秒であつた。

本件事故発生の態様は右のとおりであり、村林は自動車運転者として法令上課せられているいかなる義務にも違反していない。本件事故は、ひとえに、訴外車の運転者の過失により惹起されたのであつて、村林には過失はなく、被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

第五抗弁に対する原告の認否

否認する。

第六証拠〈省略〉

理由

一、事故の発生

請求原因第一項の事実中、原告主張の日時・場所において、被告車に訴外車が追突したことは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第一ないし五号証によれば、原告は本件追突事故により頸椎損傷(第五頸椎椎体骨折)の傷害を被つたことが認められる。また両車の追突の態様については次の第二節において認定するとおりである。

二、運行供用者責任

請求原因第二項の(一)の事実中、被告が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがないので、被告主張の免責の抗弁について判断する。

(一)  当事者間に争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第六ないし九号証、証人村林の証言および原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

村林は、乗客である原告および原告の義弟の訴外石川伊久男の両名を被告車に乗せ、幅員約一八米の駒沢通りを中目黒方面から恵比寿方面に向けて走行中、前方の横断歩道上を歩行者が横断しているのを発見し、一時停止した。そして停車している被告車に訴外車がかなり強く追突して本件事故となつた。なお、被告車が停車後何秒位して本件事故となつたか、また、被告車が本件事故前訴外車を追い越したかどうかについては、本件全証拠によるもこれを確定することができない。

(二)  自賠法第三条の規定により、無過失の証明責任が運行供用者側にあることはもとより明白であるが、元来、先行車両の直後を進行する車両は、先行車が急停車したときにおいても追突をさけるため必要な車間距離を保持しなければならない(道交法第二六条第一項)のであるから、停車中の車への後続車の追突事故においては、被追突車が全く停車する必要がない地点で停車したとか、被追突車が他車を追い越したうえ他車の進路前方に出た途端急ブレーキをかけたなど、とくに、追突を誘発する原因となるような不適切な停車をしたという特別の事情がある場合は別として、かかる特別事情の存しないかぎり、一般的には、被追突車の運転者には事故発生について過失がなく、追突車の側に過失があるものと推定するのが相当である。

そこで本件についてみるに、原告は、当裁判所において、「被告車は先行車を追い越し、追い越したと思つたら急ブレーキをかけて止まり後方から追突されました。」と供述しているけれども、事故の二〇日ばかり後になされた警察官に対する供述では、「原因はわからないが被告車が停車し、すぐまた動き出したときに鈍い音と同時にシヨツクがあつた。」と述べているのみで、追越しの事実についても、急ブレーキの事実についても一言の発言もない。また訴外石川伊久男も両事実について何ら供述しておらず、運転者の村林も、停車後追突までの間に五ないし六秒の間隔があつたことおよび追越しの事実はなかつたことを警察署においても、当裁判所においても終始一貫供述しているのであつて、原告本人の前記供述のみからただちに急ブレーキの事実等を認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。そして本件追突地点は、前に認定したとおり横断歩道の手前のことでもあり、しかも横断歩道上に歩行者がいたのであるから、被告車の停車自体はやむを得ないことであり、村林の本件事故発生についての無過失の推定を打ち破るに足る特別の事情を認めることはできない。

従つて、村林は、事故発生について何らの過失がなく、本件事故は、ひとえに、訴外車の運転者が、車間距離を十分に保持していなかつたという過失により惹起されたものと認めざるを得ない。なお証人村林の証言によりいずれも成立の認められる乙第三号証の一、二、第四号証および同証言によれば、被告自身においても被告車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたことが認められる。

従つて、被告の免責の抗弁は理由がある。

三、運送契約責任

原告は、旅客運送人が運送行為自体に関し注意を怠り旅客に損害を及ぼした場合はもちろんのこと、運送行為自体に過失がなくとも第三者の故意または過失によつて旅客が損害を受けた場合においてその事後処理に関して注意を怠つた場合においても運送契約について債務不履行責任を負担すると主張するのでこの点について判断する。

商法第五九〇条にいう「運送に関し」とは、運送行為自体に限定して解釈すべきものではなく、運送行為と密接な関係を有する行為(道交法第七二条参照)についても適用されるものと解するのが相当である。蓋し、旅客運送契約は旅客を目的地まで安全に運送することを本旨とするのであつて、運送人の履行補助者たる運転者は、本件事故のように自分には運転行為につき全く過失がないような場合であつても、被害者の救護のため適切な措置を講ずべきことは当然のことというべきである。

しかし、運転者に要求される義務は、安全に旅客を目的地まで運送することに尽きるのであつて、被害者たる旅客が第三者に対して当該事故により取得した損害賠償請求権を確保すべき義務までは有していないと解さざるを得ない。

従つて、かかる義務の存在を前提とする原告の第二次的請求は主張自体失当といわざるを得ない。

四、使用者責任

第三節において述べたとおり、村林には何らの注意義務違反もなく、原告の第三次的主張も主張自体失当といわざるを得ない。

五、結論

以上により原告の主張する責任はいずれもこれを肯認することができないので、その余の判断に及ぶまでもなく、原告の請求は棄却せざるを得ない。

そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 福永政彦 原田和徳)

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